2007-07-14

メタファーが言うこと

メタファーが字義的意味とともにもうひとつのメタフォリカルな意味をもつという見解は、デヴィッドソンによると誤りだそうだ。
冨田恭彦「アメリカ言語哲学入門」に紹介されたデヴィッドソンの主張は、メタファーを通常のコミュニケーションの一形態とさえ見ることを拒否している。
デヴィッドソンによれば、メタファーはその字義的意味以上のことは何も言わない。言葉が意味するものと言葉の使用によってなされるものの区別がよりどころとなる。メタファーはもっぱら使用の領域で言葉や文の想像力豊かな使用によって成就され、それらの言葉の通常の意味に完全に依存しているというのだ。
これは、いわば常識を逆転した刺激的な発想だ。これを理解する人間の不思議さが際立ってくるからなおさらだ。

レーモンルーセル

レーモンルーセルという作家の「アフリカの印象」という作品を読んだが、異様な作品だ。
会話がまったくない、生命に対する生の感覚がない、音はあるが、流れる音がない。すべてが絵画的で、読む者に緊張を強いる書物だ。想像力の欠如のような場面でありながら不思議と生々しい。夢に出てくるような場面かというと現実的なところがないので私にとっては夢に出てきそうもない。もっとも夢自体私はほとんど見ないのだが。
これはある意味で実験的ではあるが、小説の形式にはなじまないものではないだろうか。評者の言っているように「神話の創出」というようなものではないだろう。とにかく刺激的でひっかかるところの多い小説だ。